なんかひとこと

灯油100円。軽油もあんなに高いから経済破綻しているはずなのに、世の中は隠蔽しているでしょ

2018-10-12

慣習に取り憑かれる強迫神経症の人々

身体を洗う話

例えば、毎晩湯に浸かる人もいれば、毎朝シャワーという人もいます。
それぞれに利点と欠点があります。
一日のよごれを毎晩洗い流して寝るのがよいという発想もあれば、外出時に身体を清潔にして出たいという発想もあります。

それを、取り憑かれて、毎晩湯に浸からないと気が済まないというところにくると、強迫神経質の域に入り始めています。

世界中をみまわせば、そもそも湯で身体を洗わない人もいます。
暑ければ、汗をかくので、水で洗い流すとかなり落ちます。
石鹸がないと衛生面で厳しくなりますが、石鹸を用いる習慣のない人もいます。(そうした地域では、かりに何かあるとパンデミックになります。)

湯に浸かるのは、
湯が用意可能だからということと、
ある程度寒い地域だから身体を温めるということがあります。
沖縄に行けば毎日シャワーでも済みます。

湯が潤沢でなければ、身体の温め方も変えねばなりません。
だから、サウナがあります。

もともとは、風土によって合理的な選択をしています。そうした適応(進化)の結果です。

ところが、毎晩湯に浸かる生活でないと堪えられなくなったら、
それは、合理性を無視し、思考を放棄して、取り憑かれている、
強迫観念、強迫神経質になってきています。

どっちが正しいかという問題ではない

身体を洗う習慣に、どれが絶対的に正しい、ということはありません。

ただ、風土や生活環境に、適応した結果として、さまざまな習慣があります。

ダイヴァーシティです。diversity; 相異性



世の中には、どちらかが合理的にマシだとか、これは合理的にやっぱり間違いなんじゃないの? とかいうことも、あるでしょう。

異論がぶつかりあったときに、結論を一本に決めないといけない、ゼッタイ、ってこともあります。
いわゆる政治の世界とか、最終的に決めないといけないということはよくあります。

だから、合理的に思考して、説得をしたり、話し合ってより良い結論を出そうとしたりします。

合理的にマトモなことに対して、「ポリコレだー」(political correctness)とか言うのが一部で大流行ですが、勘弁してください。


他方で、入浴の習慣を一つに決めないといけませんか?
共同生活って、大変ですよね。決めないといけないときには。
目玉焼きは塩コショウじゃだめとか、納豆にネギいれちゃダメとか、共同生活者に言われたら。
いや、そういう修羅場があるんだろーなーと、世の中には

慣習に取り憑かれる話

多くの人は、同じ習慣を無思考で続けて暮らしています。
合理的思考をせずに、ひとたび教わった通りに、杓子定規に続けているのです。
ときには(いわゆるジンクス的な)成功体験かトラウマかもしれませんが、なんらかの原体験があって、それに取り憑かれてしまいます。
主従逆転の状態です。

原体験はときにはその人のアイデンティティ、自己存在にもなってしまいますから、強迫観念を取り除くことは不可能なこともあります。
習慣から逸脱するのを怖れる人がいます。

ですが、ときには、いつもと異なることをする恐怖にもあえて突入しないと死んでしまうこともあります。

個人の習慣は、取り除けないこともあります。

しかし、原体験が、社会の慣習もなります。
そして、慣習に取り憑かれて、慣習から逸脱するのが怖くなるのです。

そうして、八ツ墓村の祟りじゃー的な何かになるのです。

そこに、合理性はありません。
ダメだからダメ、です。

世界中をみまわせば、
特定の曜日などを安息日にしないと気が済まない人々は数え切れないほどいて、それが普通です。
安息日に島外から船が運行してくるのですらモメる島もあります。

豚肉が食えない人々も普通にいます。豚肉を食ったら食物アレルギーが出る、とかではなくて(出るんなら、合理性がありますが)。

ゲイを死刑にしないと気が済まない人々もいます。
自分がゲイなのが怖くて、必死に抑圧する人もいます。

宗教、信仰から来た慣習です。

こうした慣習の多くは、一時期の社会支配構造、社会的事実を、維持するために、執拗に刷り込まれてきたものであったりします。
いわば、政治的宗教です。なにせ、近代になるまでは、政治と宗教は一体不可分でしたから。宗教の存在目的なのです。

例えば、たかが江戸時代の慣習を未だに、「日本古来」だとかいって礼賛する不可解な日本人が掃いて棄てるほどいます。偽史ですが。

江戸徳川時代は、中国儒教の教義、例えば「道徳」ですが、そうした教義で封建階級差別の社会支配構造を維持していました。
しかも、儒教と仏教と神道がないまぜになった、謎の、ヌエのようなものです。そういう謎の、ヒンドゥー教的ななにかで、それが何故か、ときには仏教の顔をしてみたり、ときには神道の顔をしてみたりします。

「日本古来」と称する何かに取り憑かれている日本人が、吐くほどいます。
例えば、「夫婦別姓を認めれば家族が廃れる」的な、謎の信仰です。
慣習に、エセ宗教に、取り憑かれているのです。主従逆転です。

社会構造に、人が、呪われているのです。


エセ科学で正当化しようとする脅威

さらに、社会支配構造維持のためにしばしば、いわゆるエセ科学を伴います。
例えば、生来犯罪者説とか、ゲルマン人が優れているとか、
LGBTは生産性がないとかです。

ご存じの通り、こういうのは、人を殺したりしますし、戦争を起こしたりします。

しかし、未だに学習能力のない、反省をしないところが、日本ですね。

自分が、そして国家社会が、得をしたいから、エセ科学すらもまといます。

もちろん、「日本は神の國だから敗けるはずがない」論みたいな謎のものもあるわけですが。

トラウマと付き合う

戦争経験者は個人的なトラウマがありますから、そのトラウマ原体験に基づく恐怖からも、戦争反対、平和主義、とは言います。

反対に、その戦争の教訓を活かす気がない、戦争を知らない日本人のほうが沢山います。

もう書いてしまいましたが、
トラウマに社会的に取り憑かれたら主従逆転ですが、
取り憑かれるのではなくて、ちゃんと洞察を経たうえで教訓にしなければ、
今度は、学習能力がない、反省していないサル未満、人の域に及ばないバカです。

それが他人に迷惑をかけることもあるでしょうし、自分がまた過ちを犯すこともあるでしょう。

自己洞察をする(「自分と向き合う」)

ヒトの特徴は、自己客観視(自己洞察)の能力があることです。

自己生存のために、自己のどこが具合悪いのかだとかを、知覚し、分析する能力をもったからです。
単に「痛い」「苦しい」でとどまったら、トラウマに取り憑かれているだけ、主従逆転で、ヒト以外の動物と似たようなレベルにとどまってしまいます。

痛いから、何が原因か、どう治そうか、って合理的に考えようとするのが、ヒトの特徴です。

そうしてみると、自己洞察をする気のない人々は、
ヒトとして成長していない、幼稚な動物です。
しかし残念ながら、いまの日本人をみてもそうですが、そうした幼稚な、そのくせだからこそ「自分はおとな」のつもりの者が多いのです。

例えば、戦争を起こす一因は、カネが目当てで、資源を掠奪するためです。

資源というのは、人的資源もあります。
例えば、人を階級化して差別し、日本人じゃない民族から使い棄てにするという発想で、韓国人、朝鮮人や中国人や、東南アジアの人々を、労働力にして命も使い棄てにしたりしましたよね。
労働というのは、性的労働もですよ。だから例えば従軍慰安婦ですね。従軍じゃなくたって、売春というのは社会的構造で人が階級化されているからあります。
けれど、日本は一切反省していないから、「自分の意志で売春婦になった」とかいう世迷い言が出てくるんですよねー


日本人は愚かで、学習能力がなく、自己洞察する気がなく、反省しません。

日本人が愚かなあいだ、
ヨーロッパでは、EEC、ECSC、EURATOMというように、
つまり、カネ、資源の共有化、共同管理を始め、それがいまの欧州連合(EU)です。
EU内では、戦争の火種がない、戦争をしてもメリットがない、そういう社会構造になっているのです。

EUの課題は、
EU内でさらなる公平化を進めること、たとえば経済レベルの不均衡への対応と、
EU外からの影響(例えば域外からの避難者殺到)と、
国家間ではなく、人のあいだでの対立(宗教や人種や民族や言語などなどの差異、それによる差別)の解決です。

ムスリムがやってきたとなると、イスラームを知らない人々は、「八ツ墓村の祟りじゃー」みたいにもなります。
知る気がないで、合理的に思考せずにレッテル貼りをして排除(ヘイト)する人々も出てきます。
韓国人、朝鮮人や中国人の嫌いな日本人と同じようなものです。
たとい都会ではそんなアホなことを言っている場合ではなくとも、
政府が宗教であれ、人種や民族であれ、ジェンダーやセクシュアリティであれ、ヘイトすんな、差別すんな、と法令を定めたとしても、
片田舎に行けば「八ツ墓村の祟りじゃー」になります。

毎晩風呂に浸かる人が、毎朝シャワーの人を不潔だと言うかのように、
毎日定時に礼拝をする、なんか儀式やっている人を、気色悪がる。
知らないから。よくワカラナイから。
そして、知ろうとしない。自分の慣習に閉じこもるから。

ヨーロッパですら大変ですし、陸続きだから大変です。

陸続きでなくてクソ島国の日本は、何周回かわかりませんが、後れていますし、
そもそも日本はおくれているだけではなく、停滞し、さらには後退しているのですよね。

島国だから、片田舎で、八ツ墓村の祟りじゃーをやるのでしょうし、
やっても居直っていられるほど、せっつかれてはいないんですよね。
ヨーロッパだったら、居直って平然としていられないくらいに緊迫しています。

他方で、島国なので、日本社会に同化しえない存在の人は、往々にして海に零れ落ちるしかない、いや、死んでいるわけですから……
逃げ場がないですからね。陸続きじゃないから。
歩いて他国に避難して亡命するのが世界の普通。
けど、日本では、どうにかして逃げ延びてって思うより、死のうって思うのが普通。


成功体験と慣習、思い込み(主観、自己中心)

はっきり言って、多くの人は、人間中心のエゴイストです。

自分の生存や、自国の生存や、
せいぜい人類の生存くらいにしか関心がありません。

だから、石油もそうですが、ヘリウムガスだろうがレアメタルだろうが、
限りある資源を浪費しています。

地球をぶっ壊して日々を過ごしています。
国土を穢して暮らしています。

いままでどおりの暮らし、だからです。
習慣、社会的慣習なのです。

石油をムダ遣いしても、毎日毎日、都会なのに自家用車に乗っていて、そうして通勤やら買い物やらをするのが日常の普通で、そこから逸脱する気がない日本人とか。

自家用車がムダにバンバン走っていても、
日本経済が自動車産業に依存しているから、この事態を直す気がありません。

日本人や日本社会のために、食糧も含め資源を他国から買い付けてくる。
けれど、ムダ遣いして、食べ物もバンバン棄てる。
貨幣経済といわゆる資本主義の社会で、
食べ物をバンバン棄てても、売上が、利益が、出ればよいという、それが日本社会です。そういう社会構造です。

そうした社会構造を維持するために、
他国を虐げもし、多くの人が死んでもいますが、
それだけではなく、多くの生き物を平然と殺し絶滅においやっていますし、
地球を毀していますし、ときには宇宙にゴミをポイ捨てしているわけですが、
将来も食いつぶして、我が世を謳歌している、ということでもあります。


人口に取り憑かれる日本人

少子化は「問題」ですか?

いいえ、人類が増えすぎていることが危険なのであって、少子化はよいことです。

なぜ日本人は「少子化問題」というのか?

それは、日本の経済構造を維持するため、他国に敗けないため、
そして、自分を養ってほしいから、ですよね。

カネ経済が基準で、そして、自分の得が中心なのです。
人口が増え続けることで成り立ってきた日本は、人口が減るのが怖いのです。
人口が減ったら成り立たない社会構造です。

日本国が、日本社会が、「少子化は問題だ」というと、
利害関係の一致するエゴイスト日本人は、「そうだーそうだー」と言う。

エセ科学や戦争と同じような感じです。

貨幣経済に取り憑かれる人類

経済が「成長」するとかいいますけど、

「成長」じゃなくって、インフレですよね。

貨幣の数量が増殖することを「経済成長」っていっていますよね。

で、カネのバーチャルをさておいて、
リアルをみてみると、限りある資源を浪費して涸渇の時代に近づいていますから、
カネと異なる真の「経済」は、破綻に日々進んでいるのですね。


けれど、いわゆるエコノミストをはじめ多くの人は、
インフレ、貨幣数量増がコンスタントに続かないといけないと、思い込んでいます。
貨幣のために資源を食い潰しても、です。

いうまでもなく「国連」(UN)は、sustainable development ということを、もうかなりのあいだ、言い続けています。

いまの経済習慣を続けていても、永続(sustain)しません。
限りある資源が涸渇したら、終わりです。

また、資源を消費することで、地球の状態は、「今まで通り」ではなくなっています。
つまり例えば気候変動です。

いずれにせよ、観測統計から、「今まで通り」ではないことは判明しています。
明らかですから、人間のせいか否か、人間が悪いかどうかというのは、関係なく、

この、今まで通りいかない世界を、
少しでもバランスの崩壊が少なくするようにすることと、
バランス崩壊の世界でどう生き抜くのか、ということ、
それが課題なのです。

いつまでも、取り憑かれて、人口も貨幣も、「今まで通り」膨張させなければ気が済まないのでは、
今まで通りではないのです。

人口爆発も、資源消費も、この数百年に急激に起こった一時代の現象にすぎません。
江戸徳川時代の慣習を、古来とかいうのと、脳内は似たようなものです。

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