なんかひとこと

灯油100円。軽油もあんなに高いから経済破綻しているはずなのに、世の中は隠蔽しているでしょ

2018-11-06

トラウマと感覚性能(しなくていい苦労)

「神域だから静かにしろ」というのは、天神地祇は敏感だからです。
怒りっぽいとかどうとかいう以前に、聴覚が敏感なのです。
皆さんからいえば「聴覚が過敏だ」ということになるでしょう。皆さんのような暮らしは不可能なので、皆さん「健常者」(自称)からすれば「障害者」だということです、神は。

感覚が鋭敏なのは、染色体レベルからというものもあるかもしれませんが、
苛酷な状況が長期的に続いていたトラウマによるものであることは多いと考えられます。

釈迦如来(釈尊、ブッダ)も、千里眼だとか地獄耳だとかいう話がありますが、

観察能力が高かったということもありますが、感覚自体も鋭敏だったということでしょう。
それは、染色体レベルの素因もいくらかはあったかもしれませんが、
むしろ、死ぬより危険な行為を修行としておこなって、死にかける状況に晒された、環境適応によるものと考えられます。

結局は、釈尊は弟子達に対して、死にかねないような無理な修行はさせませんでした。ブッダは、「中道」です。

そもそも、無理なことをするというのは、そもそも自然法則に反しようとする愚かな行為なのですから、ブッダ(覚者)のやるようなことではありません。
自然道理(法則)を受けいれろ、というのが仏教です。

自分ひとりが覚りたいというのもエゴイズム、わがまま、欲求(煩悩)でしょう。
自分が覚ってそれでお終いというのは、わがままです。
本物ならば、大宇宙の一体を覚っているからこそ、自利と利他は同じだと解っているので、自分ひとりが得しようとはしません。つまり、菩薩行(利他行)は、覚っている者の証なのです。

そして、釈尊は、自分のした修行と称する愚かな行為を、弟子達にはさせたくなかったのでしょう。しなくていい苦労です。
そんなことをする暇があるならば、適度に運動して、思索を深め、利他行を積むことです。

しかし同時に、死ぬより苛酷な経験を通じて運良く、釈尊はブッダ(覚者)になれたということでもあります。
そしてそうなると、あとに残ったのは、トラウマでしょう。
だから釈尊は、感覚が鋭敏で、繊細で、観察能力が高い人。

けれども、そんな危険で辛い思いはほかの人にはさせたくない、と釈尊は思ったのです。


戦争経験者も、トラウマが残っています。
戦場で同胞が殺されたり、部下を死にに行かせたり、人を殺したりした日本人がいます。
戦場に行かなくとも、空襲に日常的に晒された人々がいます。
ちなみにいうまでもなく、今でも世界には、日常的に戦闘や爆撃に包まれている人々もいます。

だから、戦争経験者は、戦争や、それに伴う貧困や飢餓といった「しなくてもいい苦労」をするな、と云うのです。そんな苦労はさせたくない、と云うのです。


私自身も、感覚が鋭敏で、感受性が豊かで、繊細です。危機感が強い、危機意識の高い人です。
それは、染色体からしてもそうだったのでしょうけれども、胎児期からずっと継続的に晒されてきた危険な環境によるものです。


しかし、実害のある危険な環境に晒され続けたとしても、誰もが皆同じように敏感で感受性の高い人になるとは限りません。
トラウマ体験は、情緒や感覚を本能的に遮断させることもあります。
感じなくしなければ生きていけないくらいだから、本能的に、感覚が塞がれてしまうこともあるのです。


簡単なことなのですが、こうしたことが解らない人々は、あれやこれやと騒ぎ、障害だのなんだのといって侮蔑します。

辛いし苦痛ですが、なにより、哀しい。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ メンヘル 自分と向き合うへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 宗教へ にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ